平山牛舗物語

1930昭和5年

平山商店の誕生

昭和5年、但馬牛の取引地である養父市場に初代の平山太一が「平山商店」を創業しました。

お店のそばには牛市場と家畜保健所があり、全国各地から但馬牛の仕入れに多くの人がやってきていました。養父市場には何軒も牛舎があり、牛飼いや牛の世話を生業とする人もいるなど、まさに牛の町でした。年に一度、牛祭りも開催されていました。牛祭りの一賞品は、なんと牛一頭だったそうです。
平山商店は、牛肉の販売だけでなく、養父市場を訪れる博労(牛の仲買人)さんや農家さんのために食堂を営んでいました。牛肉をたっぷり使った肉うどんや、鶏ガラでだしをとった牛すじおでんが大変人気だったそうです。
当時はまだ牛肉を食べる習慣が少なく、高級品であったことから、特にお盆や正月に牛肉がよく売れたと聞きます。
養父市場の牛市場で競り落とされた牛は、滋賀の近江や三重の松坂、岡山などに運ばれて行き、近江牛や松坂牛のルーツとなりました。昭和初期は主に関西に出荷されていましたが、但馬牛の肉質の良さは評判を呼び、徐々に全国へ出荷されるようになりました。

1956昭和31年

二代目が地道な努力で資金を稼ぐ

昭和31年ごろ、二代目の平山保明が6年間の修行へ経て養父市場に帰ってきました。

二代目は「とにかく人より先に新しいことをする」を信念に、商売の幅を広げていきました。
当時養父地域ではほかに誰も持っていなかった三輪車で、農家さんから養父市場への牛運びをしたり、競り落とされた牛を駅まで運搬したりと、地道に資金を稼ぎました。
精肉だけでなく、牛の脂を炊いてヘットとして都会の業者へ販売するほか、牛の皮を播州の業者へ売っていたそうです。
兵庫県の食肉組合にも加盟し、同業者から常に最新の情報を入手して新しい取り組みを行っていました。但馬牛の仔牛を養父市場で競り落とし、北海道へ預けて肥育し、成牛を但馬に買い戻して、再び養父市場の競りに出すなど、但馬の外にも目を向けていました。
そして、おいしい牛肉を地元の人々へ安く届けられるように不断の経営努力を続けました。

1961昭和36年

昭和から平成へ

昭和の中頃はまだ牛肉を食べる習慣が少ない時代でしたが、二代目は時代とともに牛肉の需要が増えるだろうと予想し、商売を広げるために卸売に力を入れました。兵庫県の豊岡・香住・浜坂・八鹿や、京都府の福知山・丹後大宮・峰山など、但馬周辺のお肉屋さんやスーパー一帯にお肉を納入していました。
当時はスーパーという業態がまだ新しい時代で、豊岡や八鹿のスーパーの中にテナントとして入り、養父市場のお店以外の小売にも精力的に取り組んでいたそうです。牛肉をたっぷり入れたコロッケが飛ぶように売れたそうです。あまりの忙しさに、365日休みがなかったほどだと言います。

そして、「平山商店」から「平山精肉店」へ屋号を一新しました。
牛をさばくための加工場を建設し、巨大な枝肉を何頭も吊ることができる冷蔵庫を設けて、運搬用の鉄骨レールや専用の設備を導入しました。当時はまだどこにもなかった大型真空包装機をドイツから輸入して設置するなど、牛肉をなるべくおいしい状態で日持ちさせることにこだわりました。

平成4年には、駐車場を備えた新店舗を建設しました。
お店の名前も「平山精肉店」から「平山牛舗」となり、今の形となりました。

現在

継承されていく知恵と技術

現在は、三代目社長の平山敏明を筆頭に、社員一同頑張っております。
地域の皆さまに支えていただき、2020年には創業90周年を迎えることができました。

平山牛舗では、生きている牛が精肉として商品化されるまでの一連の工程すべてに携わっています。牛を知り尽くしているからこそ、自信をもってお肉を提供できるのです。

お客さまから「おいしかったよ」いう言葉をいただけたときが一番うれしい瞬間です。
昭和の時代から引き継いだ伝統の技術はそのままに、時代とともに新しい方法を取り入れて、皆さまにおいしい牛肉を届けられるように日々精進してまいります。

これからも、どうぞよろしくお願いいたします。